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出張続きの仕事をし
夜中に帰ってきて

子供の顔も見ずに
朝出かけていく


そして
育ち盛りの子供の

育つ姿を見ることなく
この世を旅立っていった


父の人生は
幸せだったのか・・・


そんなことを考えてた
自分がいることさえ

随分長く
忘れていたように思う



ある日ふと
思ったんだわ



あぁ
父は幸せだった

生まれてきた
私の姿を見て

幸せを
感じたに違いない



一緒に出かけたり
一緒にご飯を食べたり

そういう機会は
とても少なかったけど


わたしという存在を
創造できたということは

父にとって

幸せであり
喜びだったのだろうと・・・



その言葉を
誰かに

伝えて
貰ったわけではないけど


確かに
わたしの中で

なにかが
カチッとハマる感覚が起きた


だから
これは

きっと
真実なのだと想う



多くの人は
誰かが

目に見える何かを
失ったとき

「気の毒に」
「可哀想に」

そんな言葉を
気づかぬうちに発している



それが
健康であっても

それが
家族であっても

それが
お金であっても

それが
仕事であっても

それが
地位であっても


無くなったものに
フォーカスする視点が

不幸な人を
捏造してしまうのだわ



だからわたしは
ある日を境に

---*---*---*---

わたしの脳内辞書に
可哀想はない

---*---*---*---

そう決めた



幸せというものを
獲得するものではなく

幸せというものを
感じるものとするなら


失った人や物への
悲観の言葉ではなく

存在する生命を尊敬する
愛しさの言葉へとなっていく



可哀想という言葉は
過去を見ている言葉

素敵という言葉は
今を感じている言葉



それは
素敵という言葉を

心地良く
日常に取り入れることが


今を感じる
入り口になる

ということでもあるのよね






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