佳川奈未さんのことを
初めて知ったのは

確か
7~8年前くらい


まだ精神世界が
ブーム化していた頃



その頃
読んだときは

明るさも感じながら
妙に突き刺さる感じもあって

まったく
手に取らなくなってしまった



昨日
この本を読んで

その頃の
突き刺さる感覚は

ミラクルハッピー奈未ちゃんとして

彼女が懸命に
明るく見せてたからだと知った



この
エピソードを読んで

不思議ととても
ほっとしているわたしがいました



あぁ
あのとき感じていた

突き刺さる感覚は
彼女の頑張りだったんだ・・・


それと同時に
わたし自身も

あの頃
ものすごく

頑張ることで
自分を突き刺していたんだなぁって



それは
きっと

今にならないと
気づくことができなかったこと


あの頃の
印象そのままに

彼女の本を
遠ざけ続けていたら

感じることの
できないままだったこと



いつも
うまくいっているように

いつも
楽しく過ごしているように


そう見せる芸当は
わたしも長くやっていたこと



父が死んで以降
家族の中の荒れ具合が酷く

明るく振る舞ったり
冷静に振る舞ったり

そうすることでしか
自分も家族も保てなかった


わたしは
家族の中で

心の揺れを
表現しなくなっていった


恐らく
父の死を機に

家族の中に
ある種のパニックが起き

その心情を
互いに語ろうとしないまま

混乱状態だったのが
あの頃だったのだと思う



片親で
育ったらしい奈未さんも

いつも
自分が明るくと

もしかしたら幼い頃
頑張っていたのかもしれない



頑張れない
自分を見せるということ

弱ってしまった
自分を告白するということ



それは
周囲の負担になるような
そんな気がしてた



けれど
こんな風に本で語る

彼女の姿に
ほっとするわたしがいるのは

わたしが
語ることで

ほっとする
誰かもいるということなのよね



語られることで
安心されているという

信頼感を
相手に手渡すことができると

彼女のあり方に
教えてもらうことができた



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