命がけで手に入れたもの
それは心

命がけで手に入れたもの
それは自分



自分の心なのに
自分の体なのに

どうしてだろって
おかしいと思うだろ?


でもホントなんだ
でもそれが事実なんだ



体が生きてても
心に血が通っていないなら

体が生きてても
心が呼吸をしていないなら


それは生きてる事じゃないから
それは生きてるって言えないから



切り裂いたんだ
胸の真ん中を

切り裂いて
留まってた塊を取り出して


そしたら
やっと

心がトクトクと音を立てて
グルグルと血が巡り出したんだ



あの感触
今でも忘れない

あの瞬間
今でも忘れない



留まってた塊を捨てたとき
色んなことを言う人が居たけど


そんなことよりも

この音を取り戻すことの方が
ぼくにはメチャクチャ大切で

この音を取り戻したことこそが
今ここに在る力になってるから



あの感触
今でも忘れない

あの瞬間
今でも忘れない



切り裂いた傷が
たまに傷んでも


それはぼくが
あのとき血を流した証だから

血を流すために
命をかけた時間がここにあるから




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失ったものの大きさは
ぼくにしかわからない

失ったものの愛しさは
ぼくにしかわからない


だからぼくは泣いて
だからぼくは咽いで

振り絞れる限りの声を
吹き抜けた風に静かにのせる


どこの誰に届くかなんて
わかりはしないけど

歌い続けるしかないことだけは
ぼくは知っている







日常生活は裸眼で
パソコン使用時はメガネだけど

外を歩くときは
サングラスか伊達眼鏡が必需品



初めは紫外線防止を兼ねた
サングラスだけだった

伊達眼鏡は
ほんとなんとなくかけ始めた


ファッションとか
そんな感覚はなかったけど

かけて歩く日々を
続けているうちに

このスタイルが
しっくりきてることに気づいた



サングラスは
見た目的にも

外の世界にいながら
外の世界を遮断するけれど

伊達眼鏡もやっぱり
そういう感覚があるんだ


普通
眼鏡っていうと

自分以外のものを
くっきり見るために使うけど

伊達眼鏡は
自分以外じゃなくって

自分自身を
くっきり見てる感じがする



それはまるで

自分だけじゃないけど
自分だけのような世界

自分だけのようだけど
自分だけじゃないような世界


外に居ながら
自分だけの世界に存在してて

自分だけの世界に居ながら
愛あるものにだけ触れてる感覚



好きな音楽をかけて
イヤフォンで流しながら

サングラスや
伊達眼鏡をかけて歩いてると

自然と自分の心に
静かに目が向いてくる



サングラスというと
オノヨーコやGACKTが浮かぶけど

伊達眼鏡っていうと
アンジェラアキが思い浮かぶ


ステージの上では
伊達眼鏡をかけている彼女

なんとなくその感覚
わかるような気がしたんだ



どんなにそこに
沢山の観客が居ても

演奏してる時は自分との対話
演奏してる時は自分との勝負



どんなときも
誰と共に在っても

誰もが自分しか
理解できない孤独を抱えている



だからこそ

ただ自分のために
ただ自分の心のために

そうやっていつも
鍵盤に向かってきたであろう

そんな彼女の姿が
伊達眼鏡をして歩いていたら

ふっと頭の中を
静かによぎっていった



ミュージシャンは
ステージで多くの人に囲まれる

けれどそれは
ミュージシャンだけじゃなくって


生きている限り人は
自分以外の誰かの存在と共にある



その中で自分で居るということ
その中で自分で在るということ



ウォーキングタイムは
歩くメディテーションタイム


だからこそ
サングラスや伊達眼鏡は

そんなときの
大切な相棒たちでもあるんだ



アンジェラアキ『We're all alone』








今回のピーチジョンの表紙は
栗原類くん


類くんというと

ネガティブばかりが
取り上げられているけれど


彩ね。が
彼を凄いなって思うのは

なんでもトコトン
突き詰める姿勢を持ってるってとこ



究極のネガティブなんて
トコトン突き詰めなきゃ産まれないし

それこそが自分道を
極めていくってことだと思うから



「自分を変えたくない」と
キッパリと言いきる類くんに対して


協調性が無いだの
社会で生きていけないだの

平然と言ってのける
なんちゃら分析家やらが居たけど


彩ね。にしてみりゃ
そんな彼らの方が病んでると思える



誰かに好かれるために
誰かに気に入られるために

協調性だの
社会性だの

そんな言葉だけの
キレイゴトを持ち出して


他人に合わせろ
自分を抑えろ


こういう人間こそが
抑圧された自分を持て余し

そのイラつきを
周囲にまき散らしていく



メディアに出てくる
なんちゃら分析家と名乗る人々は

所詮見ているのは
その人そのものではなくて

データや統計でしかないから
真実などひとつも語らない



データや統計のみが
正しいと思っている人々は

マジョリティーのみが
正解だと思い込んでいる


まさに彼らが
自分という「個」ではなく

「世間」とか
「他者」を中心に生きてるから

「個」人を
「個」性を

否定した言葉を
平然と言ってのける



個性を発揮して
存在している人々とは

マジョリティーから
飛び出した人々なんだ


類くんもまた

マジョリティーから
飛び出している存在だからこそ

注目されているという
今ここにある真実を

彼らは
なにひとつ見ていない


目の前に真実があり
目の前に存在があるのに

机上のものばかり見てるから
「個」人がわからないんだよな



自分のことを
変える必要なんてないんだ


削ぎ落とすべきものは
自分ではない誰かなんだから

自分ではない誰かに
押し付けられた虚像なんだから






もっともっと
抱きしめればよかった

もっともっと
伝えればよかった


どれだけ抱きしめても
どれだけ伝えても

きっと
そんな風に想うんだろうな



だって

ほんとに抱きしめたいのは
今だから

ほんとに伝えたいのは
今だから



手渡すことができず
行き場のないものたちを

手のひらにのせて
静かに眺めていたら


コロコロと
転げ落ちていったけど


それが陽に透けて
あまりにも綺麗だったから

ちょっと驚いて
ポロポロと涙が溢れ落ちた











きみはもう
ここには居ないけど

きみとぼくで
産むことができたものは

今でも確かに
ここに存在してる



大好きだから
産むことができたもの

大好きだから
育てることができたもの


初めは何も
持っていなかったぼくらが

ある日出逢って
育て始めたストーリー



大好きからしか
産まれることのないもの

大好きからしか
育てることのできないもの


それこそが
永遠に残るべきものだから


ここで終わりじゃなくて
ここから繋げていこうって

きみが居なくても
静かにそう誓ってるんだ









感動ポイントって
ほんと人それぞれで

彩ね。の感激する空が
誰もが感激するとは限らないけど


いつもいつも
空を眺めて歩いていると


自分にとって
美しいと感じるとか

自分にとって
綺麗~!って思うとか


そういう空が訪れる前は
なんとなくわかる



このまま見てたら
きっと素敵な空が見えるぞとか

あそこまで歩いたら
きっと綺麗な空が広がってるとか



今日もそうだった

雨あがりの空が
うっすらと染まり始めて

そろそろくるかなって
じっと見つめていたら


澄みきった青空の日ではない
こんな日だからこそ見ることのできる

色んな色が混じりあった混色の空と
下から上に光が射してる光景



こうやって空を眺めて
こんなことを感じていると

古代の人たちが

空や天体を使って
占いをしてたという事が

なんだかすご~く
納得できてしまうんだよなぁ・・・




最近食事の味付けや
スキンケアに対して

以前と比べて
シンプルモードに入ってきた


けれど自分では
オーガニック的生活にこだわってるとか

そういうカテゴリー的な感覚って
全然持ってなかったりする



外で食べることがあれば
そこの味付けのものを堪能するし

ただ自分で作って食べる時は
シンプルモードが好きになってきたってだけ



肉食が悪いとか
オーガニックのみが素晴らしいとか

それで自分と価値観の違う
他者を責め立てる人たちって

結局
表面しか見てないと思うんだ



肉はもとは動物で
切り刻めば悲鳴をあげるけど

野菜だって花だって生き物で
切ったりもいだりすれば

それは悲鳴をあげなくたって
命を受け取ってるのと同じこと


食べ物以外のもの

衣類だって綿や麻という
生物の繊維からできてる

パワーストーンは
長い時間をかけて産まれた
鉱石を加工してる


そうやって何かしら
生きてる命を摘んで受け取りながら

自分は生きているっていう
自覚が産まれてくるからこそ

自分の命の重みを
感じるようになるんじゃないのか


自分の命の重みを知るから
他者の命の重みも知るんじゃないのか



彩ね。はもともと
料理に関してはかなり幼少期から

生活の一部のように
自分で作ることが多かったから


だからこそ
体の求めている状態に対して

密接に感じやすい
アイテムの1つなのもあって


元々市販の物も食べるし
ジャンクな物も食べてきてるけど

今は自分の体が
シンプルさを求めてるんだと思う



食事とスキンケアが
並行しているっていうのは

思春期に皮膚科に通っても
なかなか治らなかった吹き出物が

日々飲む物を
変えていっただけで

自然にひいた経験をしているのも
関係してるんだろうしね



けれどそれも
ジャンクさを堪能してみて

今度は
こっちいってみるかなぁ〜みたいな

好奇心的感覚とか
実験的感覚の方が強くって


それが自分は面白いから
やってるっていうだけなので

他人が何を食べてても
他人が何を好んでても

そんなのは
どうでもいいことだったりする



闇を知るから
光を知るのと同じように

痛みを知るから
優しさを知るのと同じように

雑音を知るから
静けさを知るように


なんだって
通り道があって

その先に見える
風景や感覚が存在しているものなんだ





今日の夕方は
びっくりな雲の発生


まるで太陽に
羽根が生えたみたいな雲が

上空に向かって
グングンと伸びていた



なんなんだろ~
こんなの初めて見たけど

大切な
友達のところに

キラキラ天使ちゃんを
届けてきたばかりだったからかな



好きな音楽を聴きながら
ゆっくりじんわり空を眺めると

こんなギフトが
すぐそこにある事に気づくんだ


しかも空の風景は
ほんの数分で変わっていくから

その素敵の瞬間に
出逢えたことに更に感動する



それを忘れたくなくて
いつも空を見る

それを大切にしたくて
いつも空を見る



こんな時間が
とても好きなんだ





スクリーンショット(2012-11-22 17.18.47)


amazarashiの
24時間限定公開フル視聴

「終わりで始まり」

このページを開いた瞬間
この写真を見て思い出したものがある



川口まどかの
「やさしい悪魔」という漫画

この漫画に出てくる
洋服ハンガーがあったんだ


やさしい悪魔に
核心をついたことを話す

その洋服ハンガーが
頭の中にスッとよぎった



それはまるで

言葉にしない
本音を語っているようで

ハンガーなのだけど
もう1人のやさしい悪魔のような



Amazarashiの曲もまた
闇を生きてきた人の歌だけど

やさしい悪魔も
他者の理解などとはほど遠い

闇をまとった世界で
生きている存在だった


闇の中の孤独や
闇の中の静けさでしか

見えないもの
知れないもの


それをまるで

暗闇の中にある鏡で映し出して
語りかけてくれているような

深く濃いものを
感じさせてくれる作品たち



やさしい悪魔を読んだのは
一体いつだっただろう


自己探求なんて
ほど遠い前のことで

雑誌に載っていた
数篇を読んだだけなのに


今でもこんなに
しっかり印象に残ってる



上っ面だけの
キレイゴトは嫌いだった

だからこそ
悪魔っていう響きが好きだった


あの頃からもしかしたら
闇の中でしか知ることのできない

何かがあるんだって
宝箱が眠ってるって

無意識で
感じていたのかもしれない



悪魔な自分も
真っ黒な自分も

今だって
心の中でちゃんと生きてる


それこそが
生命の重みとなって

呼吸をすることの
大地を感じる感触となって



http://www.amazarashi.com/0_7/special/




世の中に
他人の噂ばかりする人は沢山居るし

テレビのワイドショーや
ネットのニュースサイトだって

他人の噂なんて
ワンサカ溢れている


だけど

誰がなんて言ってたって
好きなものは好きだし

他人がどうこう言ったからって
嫌いになるなんて事はない



だって
彩ね。自身と

まともにサシで
話したこともない人間が


勝手に吹聴する
彩ね。の印象など

実像とほど遠いことは
身にしみて知っているし


だからこそ

自分の好きな人や
自分の好きな場や
自分の好きな物を

誰がなんと言おうと
自分の持つ気持ちは変わらない



他人がああ言ったから
他人がこう言ったから

それで
揺らぐくらいなら

それは
選択した段階で

自分ではなく
他者の意図が入っていたってこと



自分で選んだ好きだから
いつまでも好きでいられる

自分で選んだ好きだから
他人の言葉など関係なくいられる


好きを想い続けるとは
心と心が手を繋ぐってことなんだ


ちなみにホメオパシーの場合は
大体週に1度の注射による処方か

猫を連れていくのが難しい場合
飼い主が週に1度来院し
患部の写真と状況説明した上で

それによって少しずつ
処方方法を変えるかたちになるという話でした

(この場合は飲み水などにレメディをたらし
 それを猫の飲ませるという方法)



汐の場合は
動物病院に連れて行かなくても

私がそれらしきところに行くとなると
いつもと違う何かを感じるらしく

なんだか落ち着かなかったり
食欲にムラが出たこともあったので


結局私は
我が家で食事に混ぜてあげられる

免疫力をあげられる
漢方を処方する方法をとりました


漢方のあげ方だけではなく
季節によっての食欲の変動のときなど

その後この先生には
随分電話でもお世話になりました



汐が亡くなる1ヶ月半程前に
いざこの子が終わりを迎えるとしたら

どの先生に信頼をおいて
診て頂きたいか?と考え

元気なうちに1度
直接診療して貰おうという気持ちで

知人に車を出して貰い
直接先生に診て貰ってきたのですが


免疫力向上の漢方だけで
肥満細胞腫は根っこから遊離していました

(できもの自体は存在するけれど
 根っこから剥がれたため体への負荷が減った状態)

今でも無理に手術しなくて
本当に良かったなと思っています



これは
私独自の見解ですが

ホメオパシーにて治療した方に
聞いてみたところ

「抗ヒスタミンのホメオパシーを
 処方して貰ったところ細胞腫が遊離した」

ということを
教えて貰ったので


抗ヒスタミンの
ホメオパシーについて調べてみると

・激痛
・アレルギー
・虫刺されに似た症状
・腫れ
・むくみ

こういったものに
効くという風に明記されていました



つまりこれって
動物病院では腫瘍=癌と呼ばれるけれど

実は治りの悪いおできというか
タチの悪い皮膚炎のようなものかな

というのが
最終的に私の辿り着いたところでした


そしてアレルギー症状とか
むくみとかという視点で捉えると

切除は一時対処的なもので
内側から治療していく方が

長期的に見たら
いい方法のものなのではないかなと



汐は年齢も年齢だったので
自宅で出来る処方をとりましたが

漢方やホメオパシーは
個体差によって効き目が違ったり

状態によっては手術でとる方法が
いい場合もあるかもしれませんので

動物病院の先生と
納得いくまでお話するのが1番いいと思います



ただ汐は
初めのお医者さんに言われたように

肥満細胞腫による
食欲減退という状態になることはなかったし


毛を引っ張っているときなどは
漢方を水に溶いたものを塗ったり

冷やし過ぎ温め過ぎに注意することで
落ち着くことも多々ありました



汐は2012年9月に
19歳で旅立っていきましたが

旅立つ2日前まで
食事もしっかり摂っていました


1番最期に
病院に連れて行った時の診断は

極度な温度変化によって
老化した背骨付近の筋肉が麻痺を起こし
歩けなくなったとのこと


それにより
体が支えられなくなり

食事や水を飲むのも困難になった
年齢なりの衰弱によるものでした



肥満細胞腫は
腫瘍と呼ばれることから

その病名を聞いた方は
焦りや不安を感じることも少なくないと思います


けれど汐の場合は
肥満細胞腫によって

日々の生活に困るような
大きな支障は出ることはありませんでした



なので飼い主さんは
病名を聞いて

ビックリしたり
焦ったりするかもしれないけど

色々な治療方法があるし
色々な見解の先生が居るし

探せばちゃんと
合った方法が見つかるし

心配ばかりしなくても平気ですよと
そのことだけはお伝えしておこうと思います





インターネットで
情報を集めてみると

どうやら手術以外の方法で
有効なのはホメオパシーのようでした


けれど
我が家の近くでは

この療法をとっている
お医者さんは見つけることができず・・・



とりあえず
汐の様子を見ながら

普通のホメオパスさんの中に
動物に処方できる人は居ないか?とか

Skypeやネットを通して
相談できる人は居ないだろうか?とか


ホメオパシーのできる
病院の見つける可能性と合わせて

色んな角度から
1ヶ月ちょっとかけて可能性を探しました



その間に知ったことですが
手術をせずに面倒を見た方の情報でも

肥満細胞腫で食欲が無くなったりという
悪さはなかったらしい

(基本猫の場合は良性のことが多いです)


またこのできもの
明確な原因はまだ解明されてませんが

高齢でできることが多いので
免疫力低下も関係しているという見方が
今のところとても強く

手術をしても免疫力が落ちれば
また再発するという可能性もあることを
色々調べていくうちに感じました


それもあって
手術に疑問を持った部分もあります

できるたびに体を切り刻んでいては
それこそ寿命が縮まってしまう


その方が汐には
どうしてもよくないと思いました



そしてその後
家から電車とバスを乗り継いでの距離で

西洋医学と東洋医学
代替療法などを用いている動物病院を
見つけることができたので


汐の年齢的に
いきなり遠くの病院まで連れて行くのは
ちょっと心配だということを相談したところ


患部の写真を撮って
他の検査の数値等と合わせて
資料を持って来て貰って

まずは飼い主さんだけ来てみませんか?
という話になりました



このときに日々の様子や
食事の様子などもお話しして

漢方とホメオパシーと
どちらかなら治療できるというお話しになりました




ちなみに肥満細胞腫については
動物病院によって随分見解が違います


初めにかかったお医者さんでは

「まだ増える可能性があるから」
「今食欲があってもいつかなくなるかもしれないから」

というこれから先に対して
心配事ばかりを持ち出して手術を勧めるかたち



セカンドオピニオンのお医者さんでは

「たまに痒みが出ても食欲があるなら
 過剰な心配も無理な手術も勧める必要は無し」
「写真の状態など見ても拡大していないので
 年齢的なことも含め手術を勧めるレベルではない」


という感じで

こちらの気持ちに寄り添いながら
前向きな部分を取り出してお話してくれる先生でした




(続きます)

今年9月に旅立った
愛猫汐(うしお)


今年に入り肥満細胞腫が見つかり
自宅で治療しながらの日々でしたが

これが見つかってから
かなり情報収集に苦労したので

私的見解を含め何かの参考になればと
ここに記録しておきます



今年の2月
目の見えが大分悪くなり

壁ギリギリまで歩いてから
折り返してくるなどの様子が見られたため

検査と相談のため
動物病院にかかりました



目に関しては白内障と
目の中の組織の問題もありとのことで
特に治療法は無しという状態で

それでも猫は
嗅覚・触覚なども発達しているので

見えが悪くなったとしても
生活はできるでしょうという診断でした


そして実際に汐はその後も
椅子から床や階段の上り下りなどは

前足で距離感をはかりながら
旅立つ2日前まで自力で行っていました



目の検査に合わせて
腎臓の数値などを診て貰ったり

体の中で気になるところを
説明して診て貰ったのですが


そのとき
尻尾の付け根付近にある

気になっていた
小さなおできっぽいものが

検査によって
肥満細胞腫であるということを知りました



肥満細胞腫は皮膚にできると
温かくなったときや気圧変化のあったときに

ヒスタミンが発生して
痒みが出るできもので

(病院だと腫瘍と言われるため
 まずこの響きに驚くことが多いと思います)


これは内臓にできると
食欲が減退する場合があるのですが

汐の場合は
普通に食欲はモリモリある状態でした


ただたまに
毛を引っ張ってるときがあったので

これが恐らく
肥満細胞腫のせいだったのだと思います



初めに診せた病院では
手術での切除を勧められましたが

年齢も19歳になっていたことや

元々おうちが大好きな子が
手術や長期の入院によって

ストレスがかかってしまう事の方が
嫌だなぁというのが私の気持ちだったので

暫く様子を見させてくださいということで
手術のお話はお断りしました



ですがこの後
体重測定や食事の相談などをしに行った時に

また小さな肥満細胞腫が
耳の近くに見つかったため
再度手術を勧められる事態になり

19歳という高齢の猫に
手術ばかりを勧める方針に

私としては疑問を感じたので
インターネットなどで情報収集をしました



(長くなるので続きます)

snown.jpg
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きみに伝えたい想いを 誰に伝えればいいのか
きみに話したいことを 誰に話せばいいのか


今日も行き場のない言葉を
空に投げ続ける




見上げたら
雪が降り出していた




この広い空の何処かで 降り続ける雪にのせて
きみと一緒に育てたものと同じような柔らかさで

いつか出逢う
大切なだれかへ届きますように



ちょっと
思うところがあって


雪だるまを
いかに可愛くなく描けるか

っていうことに
チャレンジしてみたんだけど・・・


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こけし?


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バランスを保つのが大変です


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いっそのこと逆立ち


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うちゅうじんがやってきた


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寝てます


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たおれてます


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よく見ると非常に芸術的な力作


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飾りは全部枝


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たまにはバナナの皮でものせちゃう?


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グラサンかけてみた



【結論】

雪だるまを
可愛くなく描くのは案外難しい












生きているうちにしか
抱きしめることはできない

生きているうちにしか
肌の温度は感じあえない



肉体のあるうちにしか
触れあえないことがあって

触れあうことでしか
感じあえないことがあって

感じあうことでしか
繋がれないことがあるのに


ハイヤーセルフと繋がるとか
守護霊と繋がるとか

そんなことばかり求めて
一体どうなるというのだろう



確かに
見えない存在は居ると思うけど


今生きている
肉体を持っている自分と

生きた肉体を持っている
愛すべき存在を

感じることも
触れあうことも

無視して
おろそかにしたままで


ハイヤーセルフ?
守護霊?

そんなの
知ったこっちゃないし

軽々しく言うなって
本当にふざけるなって思うんだ



怒りを知り
憎しみを知り
悲しみを知って

この世の全ての存在など
愛せない自分が居ると知る


すべてを愛せないからこそ
限られた愛すべき存在があって

限られている存在だからこそ
生きている時間に感じあえることを

抱きしめたいと思う
大切にしたいと思う


それが生きた肉体と
生きた心を持って生きてるってこと



生きているうちにしか
抱きしめることはできない

生きているうちにしか
肌の温度は感じあえない


生きているうちにしかできないことを
肉体のあるうちにしかできないことを

熱を持って
年月をかけて感じあうからこそ


見えない繋がりは産まれるんだ
見えない繋がりは生きていくんだ






ひとつ嘘をつけば
雪崩式に嘘が必要になるように

ひとつ感情を殺せば
そのほかの感情も死んでいく


ひとつは
たったひとつなんかじゃないよ

ひとつから始まる
いくつもが存在しているんだ



殺していたという事実
死んでいたという事実


誰のためだったのか
何のためだったのか


そこから多くを失い
失ったという事実を知った者こそが

ひとつの重みを知る
ひとつの大きさを知る



ひとつから始まるのは
その先へ向かう大きな世界


だからこそ
今日も

たったひとつの大切さを
たったひとつの愛しさを


感じる
生きる力を

抱きしめる時間を
忘れたくないと願うんだ