乙嫁語り 1巻 (BEAM COMIX)乙嫁語り 1巻 (BEAM COMIX)
森 薫




森薫の漫画の
何がいいかって

美しい
人間関係の在り方が

これでもか!って位に
描かれているからなんだよ〜



人と人とは
出逢って終わりではない

出逢ってから
知り合ってから

関係性を育て合うことが
いかに大切か

その心の変化の過程も
とても丁寧に表現されている



彼女って
同人誌出身なんだけれど

(ちなみに
 CLAMPも同人誌出身)

これって
ミュージシャンが

インディーズから
メジャーになるのと同じことで


出版社から
本を出すまでは

自分で資金を出して
漫画を売ってた人だから

自分の嗜好に
凄く真っ直ぐなんだ


背景や
衣装なども

とても細かくて
素晴らしいんだよ〜〜〜


これら描き込みも
ほぼ自分で行うほど

好きに対する
拘りがハンパない


ファッション好きの人にも
おススメの漫画かも!!



人と人だけじゃなく
自分の嗜好も

「好きなことがある」
「好きなことができた」

ここで
終わりなんかじゃなくて


「好きなこと」は
自分で育て続ける

「好きなこと」は
自分で守り続ける


自分の好きを
自分で大切にし続けることが

凛とした
美しさを放つもの



彼女の物語に出てくる
多くの育て合いの関係性は

彼女が彼女自身の
嗜好と愛を育て続けてきた

道筋や
過程そのもの



漫画も
映画も
音楽も

創作物の全ては
フィクションなんかじゃない


この世に存在する
ノンフィクションなんだってことは

こうやって
実感することができるんだ



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桜塚星史郎

東京BABYLONに出てくる
暗殺集団桜塚護の当主名


桜塚護って
先代当主を殺さないと

自分自身が
当主になることができない


星史郎にとって
人生初の殺しの相手は

先代当主である
自分自身の母親だった



殺人も
殺人のための集団化も

彩ね。には
全く興味のない事だけど


自分の脳内で行う
親殺し行為というのは

大人を生きる
自分人生を生きる上で

とても必要なことなので
彼の存在には共感点もあるんだ



自分の親を殺し
自らが当主になる

それはつまり
いつか当主交代の時に

自分自身が殺される覚悟もある
ということでもある


それは自分自身が
脳内親殺しをした経験のある大人しか

子供の脳内親殺し行為を認められない
ということとも繋がっていく



残忍さも
残酷さも

誰もの
心の中に存在している


他者のためとして
表向きのいい子を生きるために使うか

(=自分自身に対する
  殺人行為のために使うか)


自分のためとして
どうでもいいものを斬るために使うか

(=自分自身に不要なものを切り
  必要なものを得るために使うか)


大切なのは
封印することではなく

使い方の
方向性を知ることなんだ



星史郎が密かに
昴流の仕事を手助けをするとき
出てくる台詞がある


---*---*---

あなたが何をやろうが
誰を殺めようが
ボクには全く関係ありません

でも昴流くんを傷つけたのは
許せませんね

---*---*---


自分自身の
興味のある人間以外が

何をしようが
どう生きようが関係ない



まぁこれ
実際にそうだよね



自分が好き
自分が興味ある

それ以外の人間が
この世でどう生きようが

自分の人生には
全く関係のない話だ


自分人生に
関わりがあるのは

自分の嗜好で繋がった
興味のある他者だけでいい

(っていうか
 それが当然!!!)



共感点もない
興味も湧かない

そんな他者の存在が
自分の人生に関与すると思い込み


他者を救うとか
地球を救うとか

こちら方向に傾く人々の
心に巣食ってるのは


自分が興味も湧きもしない
共感点も微塵も存在しない


そんな
親の人生でも

子供の人生に
生涯を通し関与し続けるという


脳内親殺しを
終えることをせず

親にとっての"いい子”という
幻想を演じ続け生きる人々からの

嘘にまみれた
刷り込みと呪縛なんだから




東京BABYLON―A save for Tokyo city story (1) (ウィングス文庫)東京BABYLON
―A save for Tokyo city story (1)
(ウィングス文庫)

CLAMP




CLAMP作品

10代の頃
凄くハマったんだ


今の
音楽界では

GACKTやスガシカオと
コラボのある人たちだけど

当時はまだ
知る人ぞ知るだったんだよ


デビュー当初
「聖伝」時はメンバー7人で

東京BABYLON時は
確か6人だったような気がする



アシスタントを雇わず
漫画家集団として

メンバー(プロ)たちだけの手で
作り上げてるのも印象的だったんだ



引っ越し時に
1度処分してしまったんだけど

なんだか急に
CLUMP作品が読みたくなってね


でも内心
ちょっと怖かったんだ

10代の頃に
読みふけっていたものを

今の自分が読んだら
どんな風に感じるのかな〜って



でも
やっぱり読んで良かったな

世の中の嘘
偽善を暴く思想

今の彩ね。の原点が
此処にあるって感じたから



1度捨てたものを
改めて手に入れたから

新しい気持ちで
また読むことができたのも

自分にとっては
凄く大切なことだったんだ


ずっと
持ったままだったら

きっと
気づかなかったこと

絶対にあるなって
感じることができた



過去の自分が愛して
1度手放したものを

もう1度手に入れるのも
いい経験になるもんだな





シャーリー (Beam comix)シャーリー (Beam comix)
森 薫




特に何か
事件が起きるわけでもない

メイドと
女主人の交流の物語


作者のメイド好きから
描きあげたものらしいけど

人と人との
美しい在り方が描かれている

とても
素晴らしい漫画だよ



メイドのシャーリーと
女主人ベネットは

年齢差もあるし
立場の違いもあるけれど

お互いの違いを
尊敬し合っていて

心の距離や想いを
尊重し合いながら育んでいる


支配のない関係(対等な関係)
話し合いの関係
育て合いの関係

そこには
違いを愛する気持ちがある



自分にはできないこと
相手にはできること

自分にはできること
相手にはできないこと

人は1人で
何もかもできるわけじゃない


不完全な自分の自覚
不完全な自分の肯定

その想いが
あるからこそ

自分と関わり
支えあっている

愛ある他者に
尊敬の想いが産まれる



他者への
尊敬の気持ちは

尊敬を求められて
産まれるものじゃない


そして
勿論

誰もに対して
持てるものでもない


無力な自分とか
不完全な自分とか

自分のどうしようも無さも
自分で丸々愛する気持ち


その想いが
あるからこそ

自分とは違う
技術や想いを磨き続けてきた

他者との関わりの中で
互いの中に産まれ育まれるもの



シャーリーと
ベネットの物語だけど

自分の趣味
自分の嗜好を

とことん愛し抜いた
作者の心の中に在る平和

そこから
紡ぎ出される

美しき日々も
ギュッと凝縮されている






となりの関くん 1 (MFコミックス フラッパーシリーズ)となりの関くん 1
森繁拓真




今年から始まった
アニメを見始めて

やっぱり
漫画も欲しくなってGET



関くんって主人公だけど
ヒーローとか人気者とかじゃなくて

本当に
ごくごく普通の男の子


でも生み出すものは
どれもこれも関くんの拘りがあって

だからこそ
素晴らしい魅力の持ち主なんだ


関くんの動きと
隣の席の横井さんのツッコミ(心の声)が

まるで
漫才を見てるみたいなんだけど

こういうツッコミって
自分で物を作っててもやってるかも

(所謂自分ツッコミ!)



1人で顔をしかめたり
いきなりヘラヘラ笑ったり

かと思えばボロボロ泣いたり
「お〜!」と叫んでみたり


彩ね。も

絵を描いてたり
料理してたり
占いしてるときって

傍から見たらこんなのかな〜とか
これ見てて改めて思ったけれど


関くんという
キャラクターは

原作者さんが
自分自身を

もう1つの目で見て
産んだのかもしれないね



それにしても
こういう主人公と設定を生んで

漫画にしたという視点が
本当に素晴らしい






あ〜
この曲も名曲なんだよなぁ


アニメの曲って
ストーリーにめちゃ添ってるから

物語の真髄
作り手の魂をダイレクトに感じられる


今改めて聴いても
やっぱり深い愛の歌だ〜〜〜


このアニメを見てた頃
自分の個性に気づき出して

学校には行っていたけど
学校システムに馴染めない自分と

皆と同じを目指させる
大人の意識と強い葛藤を抱えてた


そんな頃に
こういう歌に出逢っていた事に感激する



shoan1.png

shoan2.png


初めて知った

アンパンマンって
初めは人間だったんだ


飢えに苦しむ人たちに
アンパンを配り続けただけ

戦う力を持たないから
バカにされていた存在



カッコ悪いかな?
彩ね。はカッコいいと思う



武器を持ったり
敵を倒したりという

目に見える戦い方は
彼はしなかったけど

ずっとずっと
自分自身と戦い続けていたんだ



誰に何を言われても
世間にどう思われても

自分の信念を
貫き通して生きた


そんな存在が
今のアンパンマンの原型って

ものすごく
勇気を貰える話だよね






スクリーンショット(nadi)


今年から
ナディアの再放送が始まって

もうすっかり
内容は忘れていたけれど


今になって
また見直してみると


やっぱりこれは
10代の自分にとって

必要な作品だったんだなって
しみじみ感じる



このアニメは
制作に至る経緯の中で

何点かラピュタと
類似点が挙げられているけど


キャラクター設定や
物語そのものを見れば見るほど

やっぱりこれは
庵野作品だって感じる



そして
約2時間という枠の中で

ストーリーを完結させる
映画で語ることが可能なことと

全39話のアニメで
語られることは絶対的に違う


ナディアと
ナディアを取り巻く人間関係の

変化と成長というのは
テレビアニメならではなんだ



そして
今物語は

「古い血の断ち切り」
というところに入っている



自己嫌悪とは
親嫌悪から産まれる


だからこそ
親への反抗は絶対不可欠で

それが
あるからこそ

親以外の他者や
未知の社会と繋がることができる



親を愛せとか
親を許せとか

こんなの
まさに支配社会の構図が
家庭内に反映されてる視点で

(家庭内での支配関係が
 社会に反映されてるとも言える)


こんな視点を
当たり前と言い張る人間こそが

肉体は大人でありながら
精神が大人として成熟していない


自己評価が低く
自立心を持っていない人間の

子供を繋ぎ止めるための
言い分でしかないんだ


--------------

親なんて愛せなくていい
自分を愛せ

親なんて許せなくていい
自分を許せ


他者が愛せないときほど
自分を愛するんだ

他者が信じられないときほど
自分を信じるんだ

--------------



ナディアを作り終えたあと

庵野さんには
空白期間が存在していて

そのあとに
エヴァを産み出している


それもまた
必然の流れだったんだろう



彩ね。は
エヴァは見ていないけど

庵野さん自身もまた
「より自分であるために」闘い


その果てに産まれたからこそ
エヴァという作品が

生きづらさを感じたり
葛藤を抱えている人々の

心に届くというのは
なんだか凄くわかる気がする



空白期間には
空白期間の意味が存在している

社会に出ない
誰にも知られない

その期間は
超孤独に包まれるけれど

その中でしか
知り得ないものが

確実に存在しているんだ



森川美穂『ブルーウォーター』



ふしぎの海のナディア DVD-BOXふしぎの海のナディア DVD-BOX
(2001/10/30)
鷹森淑乃、日高のり子 他




今月からナディアの
デジタルリマスター版が放送されている


なんたって中高生の頃は
アニメオタクだったから

あの頃に
大好きだったナディアを

今見ると
何を感じるかという視点で

今回の放送は
ドキドキして見ている



丁度思春期頃って
傷つきやすくもあるけれど

親や家から
異性や他者へと

関心が向いて
家出したり一晩中帰らなかったり


パワフルでもあり
慌ただしい時期だったから

今見てみると
「へぇ〜こんな話だったっけか」と

案外
忘れていることも多い


面白いのは
ワンピースもそうだけれど

実生活では
海より山が好きなのにも関わらず

好きなアニメは
「海」に関わっているってこと



それにしても今年は
プリプリが再結成したり

どうも自分が
多感な思春期だったとき

ハマったものたちが
妙にリバイバルされている気がする



なんなんだろ
不思議な流れではあるけれど


あの頃の
ズキズキした痛みの中で

追いかけていた
心踊ったものたちに

新しいかたちで
出逢えるのもまた面白い



【ふしぎの海のナディア】