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閉店後の
シャネルウィンドウ


賑やかな
日中のショップとは違って

静かだけど
凛とした空気が素敵で

思わず立ち止まり
じ〜っと見つめてしまったわ


凛としてるけど
近寄り難くはなく

なんだか
す〜っとした空気感



そんな

シャネルウィンドウに

惚れ惚れ



シャネルは
人の助けを受けとるのが

とっても
上手な人だったなぁ〜と


ここ数日
起きていることを感じながら

この文章を
綴っているところ



震災から5年と
ネットを開いてから気づいて

生家から
今の家に引っ越してきて

そうか〜
今日で6年になるのか〜と


引っ越してきて
1年後に震災が起きました



実は数日前
急に叔母が旅立ってしまい

とっても
バタバタした数日だったので

そんなことも
すっかり忘れていたのです〜



塗り絵の
Webショップのオープンを

今日にしたのは
思いつきでしかありませんでした

日々の流れの中で
ふと今日にしたかっただけ


そして
今朝目が覚めて

あぁ
そうか

こういう
区切りの日か・・・と



数年前まで
震災の話題を

私自身が言葉にするのは
とっても不快なことでした


性犯罪というのは
思いの共有者が居ないので

震災という
ひとつの出来事で

思いの共有ができる人が
とっても羨ましかったから



でも
こうして書けるということは

気づかないうちに
昇華されてた想いがあるんだなぁ・・・



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人が
食事をしている姿って

客観的に見ると
とてもエロいわよねぇ


特に
口元なんて・・・



食と
エロスも

深い
関わりがあるわよね〜



人も
物も

情報も
情景も


触れたい
近づきたい


そこには
美味しそう=体に入れたい

という
欲望があるからだもの







性に傷のある人は
美味しそうな人


つまり
他者が

自らの
体内に取り込みたいと

欲望を抱くほどの
魅力に溢れてるのよ









女の子に
生まれなければ


こんなに
傷つかなかった

こんなに
悲しまなかった



そんな
切ない想いも

そんな
寂しい想いも


そんな
心の痛みも

本当は

きみが
始まりではないんだよ



そんな
切なさも

そんな
寂しさも

そんな
心の傷も


女の子に生まれた
きみを傷つけた誰かの

傷から
繋がってきた




でも
だから


きみから
始められる

きみから
繋げられる



女の子に
生まれて楽しい世界

女の子に
生まれて嬉しい世界



見失った
きみだからこそ

気づける
些細な瞬間



きみは
花のように


繊細で
棘もあり

優しくて
毒もあり


その全てが
水を湛える



向日葵のような
笑顔の子と

呼んでくれた人が居た


蓮の花のような
凛と咲く美しさがあると

語ってくれた人が居た


あなたを見ていると
こんな感じがするのと

ローズの香りや
ローズの柄を

贈ってくれた人が居た



何度も
何度も

投げ出したくなった
きみが居たとしても



生きる
活きる

大切な
メッセージは

繰り返し
運ばれてくる



きみは
花なのだと

きみは
心地良い香りと



何度も
何度も

投げ出したくなった
きみが居たとしても



生きる
活きる

大切な
メッセージは

繰り返し
運ばれてくる



チャンスは
1度だけじゃない


人生は
とても寛容なのだと

そう感じる
心があることさえ


予測外の
大切なメッセージ



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ある時期を境に

性犯罪被害者という表現に
違和感を持つようになった


被害者って言葉って
重苦しいんだよな

自分で言葉にしてて
気持ちの良くない表現には

自分以外の
「何か」が潜んでいるんだ



マドンナは
親からの虐待の経験者で

異性の親の虐待って
性虐待同等だと彩ね。は思ってる


でもマドンナの生き方には
”被害者”の雰囲気は微塵もない

自己表現として
使いこなしてはいるけどね





これは
父親の虐待を受けてた

マイケル・ジャクソンの
生き様に言えることなんだわ





性犯罪って
言葉にできる人が少ないから

性犯罪被害って言葉も
当たり前に使われてるけど

これ
絶対

性犯罪に遭った
当事者が産んだ言葉じゃないんだ



この世の中で

他者を苦しめ
他者を傷つけるのは

自分は被害者だと
悲劇に浸ってる人間ばかり


つまり被害者は
加害者が産んでるっていうこと

被害者という言葉さえ
加害者が作り上げたものということ



だから彩ね。は
性犯罪被害者ではなく

性犯罪経験者と
自分では思うようになった


経験であれば
自分人生に生きる

経験と見れば
生かす術を見つけやすい



性犯罪って
実は結構多い筈だけど

なかなか
表現されることのない

「レア」な
経験でもあるんだよね



つまり
彩ね。は

「レア」な経験を
引き寄せる率の強い質を持つ

「レア」な関わりを
引き寄せる率の高い質を持つ


これは
幸運方向にもガッツリ使える


たまにビックリな
「当たり」ものに遭遇するのも

こういう体質から
来ているって事なんだな〜〜〜〜







海で溺れて
死にかけた時に

ここ何ヶ月
SEXしてなかったっけ?と

息を吹き返したって
GACKTの有名な話だけど


楽曲だけじゃなく
行動や言動で

性欲について
リアルに伝えるというのも

GACKTの
凄いところなんだわ



彩ね。は
性欲がとても強い


でも創作という
脳内SEX環境で

男女も時代も関係なく
多数の人々と関わり続けているから

(勿論脳内SEXの相手も
 自分の好きな人限定だけどね)


実生活での好きな人も
SEXの相手も

1人と付き合っていたら
その1人が居てくれればいい


浮気相手とか
愛人とか

自分がなりたいとも
欲しいとも思わない


当然ながら
浮気する男も愛人を持つ男も

彩ね。には
問題外の生き物だ



浮気したいとか
不倫したいとか
3Pがいいとか


そうやって
生きている人々は

自分の持つエネルギー
磨けば光る才能があるのに

発掘も育成もせず
持て余してるんだろうな


性欲も
ナイフと同様

創作活動に使えば
それは愛情になるけれど

一時的な
ストレス発散に使うと
それは凶器にもなり得るんだ



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犯罪被害に
遭ったことのあるきみへ

ぼくはきみを
被害者とは呼ばない


たとえ
被害に遭ったとしても

被害者という
名称ではなく


その肉体が
生まれ持った名前のきみで

誇りを持って
生きるべき人だから



誰にも知られず
誰にも言えない場所で

長い間1人で
痛みを抱えてきたことだろう



きみの事件
きみの事故

それはきみだけに刻まれ
それはきみだけが風化させられない


痛手を負っただけではなく
まるできみが犯罪者のように

恥であると
言われた日もあったかもしれない



生きていることさえ
存在していることさえ

誰かに
取り消されそうになった


それでも今
きみがこの世界に生きているのは

きみの生命の光を
世界に放つためだよ


消そうとしても
消そうとしても

消えないほどの
強い光


それこそが
きみの本来の姿

それを
忘れないで



その光は
きみを傷つけた人間のためではなく


きみを愛し
きみを支え
きみを想う人たちと

分かち合うために
存在しているのだから


光ある者は
光ある者とだけ生きること

それが
自然なあるべき姿



花は花と共に
光は光と共に


本来のきみの
あるべき姿で

さぁ両手を広げて
その世界を迎え入れて


生かして
生かされる場所へ

愛して
愛される人のもとへ



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雨の日に見つけた
ハート型の葉っぱ

唇の形にも似てるな〜って思ってたら
急に思い出したことがある



20代の半ばまで
ヘビースモーカーだったんだ


やめた1番の原因は
声が出なくなるのが嫌だったから

当時は
ボーカリスト目指してたからね



ハスキーボイスが
カッコいい場合もあるけれど

1度酷い風邪をひいて
咳が止まらなくなったのを機に

スッパリと
吸うのをやめると決めた


少しずつ吸う量を減らすとか
そんなん面倒だから

やめると決めたら
スパッとやめた


少しずつなんて
変な未練を引きずるより

スパって方が
スッキリやめられるもんだ



それと
もう1つ理由がある

当時のボイトレの先生が
教えてくれた事があるんだよね


煙草を吸うと
血流が悪くなるので

それが
唇の色に出ると聞いたこと


吸った年数だけ
唇の色が悪くなる

色が戻るのにも
ほぼ吸った年数分かかる


そのまんまの唇の色が
綺麗な女ってセクシーやん!?という

自分の中にある
女意識が勝利したという感じかな



性犯罪被害に限らず
人生の何処かで女性性が傷つくと

女で産まれた事に後悔したり
女って損だ!って意識が生まれて

(実際にはこの意識は
 他者から植え付けられてるだけなのだけど)

自分が女性である事を
否定したくなる時期が存在する



まぁでも
否定したくなるっていうのは

それ(女性性)が
存在している自覚があるからこそ

極端に意識して
否定してかかるってわけで


実のところは
”自分は女性である”ということを

強烈に
意識してるって事でもあるんだよね



ひきこもり期も
経験しているけれど

実はこの間も
ウォーキングはかかさなかった


これも
ただひたすら家に居るだけだと

体がなまったり
たるんだりするのが嫌だわぁ〜って

女としての意識が
働いていた部分が大きかった



基本料理をする事や
食べることが好きだから

この喜びと
バランスをとるために

歩くという運動が
ベストだったのもあるけどね



なんだかんだ言って
自分の女性性に闇を感じていた時期も

本能的には
女は捨ててなかったんだよな〜

むしろ
女である事を愛してたんだな


本能って凄い
自分って凄い


ということを
改めて感じたのであった








起きた
出来事に対して

やたらとネガティブな
意味付けばかりをするのは

いつだって
当事者じゃない他者だけど


性犯罪被害というのも
世間一般という物差しでは

ほんと
ネガティブにしか語られない



けれど
女性性の傷というのは

性犯罪被害者でなくても
持っている人は存在している



例えば

女性に産まれたことを
否定する親や周囲の言葉もそうだし

女の子として
やりたいことを拒絶されたとか


「女だから」
「女のくせに」

こんな言葉を
社会で投げかけられ

傷ついた人だって
決して数少なくないだろう



言葉でついた傷は
人によっては気づきづらい

それが日常であれば
傷を認めることさえ恐ろしい

そういう場合だって
あっておかしくない



彩ね。にとって
性犯罪被害の傷というのは

自分の女性性の傷を
分かりやすく自覚させる


分かりやすいから
気づきやすい

気づきやすい
だからこそ


女として生きていくことの
重要性も感じるし

女として生きていく上で
大切にしたいことも見えやすい



女には
女ならではの弱さもある

女には
女ならではの強さもある


その両方が
共存しているからこそ

この世に
男と女が存在している意味がある



このテの犯罪が
この世に存在することに

憤りを感じるの
一生変わらないことだけれど


女としての
傷を持っているからこそ

女である
自分を生かしながら

生きていきたいと
思うことができるんだ






誰彼もに
自分のことを話したりはしないけど

話の流れで
必要性を感じたときは

自分に性犯罪被害経験があることは
話すようにしている



性犯罪被害者っていうと
腫れ物のように扱われることが多くて

なんでだろうって
ずっと思ってきたけど

腫れ物のように扱う
その視点こそが加害者目線なんだろうな



性犯罪の事実は
聞いちゃいけない

それこそが

性犯罪の事実は
話させてはいけない

というところに
繋がってると感じることがよくある



男に傷つけられた女は傷物で
傷物であることは隠さなければいけない

それこそが
性犯罪被害が拡大する要因になるんだ


性犯罪は話されない
そう見られがちだからこそ

性犯罪というのは
隠される前提に行われている



彩ね。は性犯罪被害者だけど
自分が傷物だと思ったことはない

ただ性犯罪に遭ったという
事実を抱えてるということだけだ



話の流れで
何かのキッカケで

それに関わることを
彩ね。に聞いたことに対して

何度も色んな人に
ごめんと言われたことがある


けれどただ単に
冷やかしを感じる空気なら

そんなこと
あえて相手に話すつもりはないし


どれだけ腫れ物扱いされても
どれだけ傷物扱いされても


性犯罪被害に遭ったという
事実に目を背けずに

これまで生きてきてる事は
自分でよくやってると思ってる



話すことそのものが
抑止力のひとつになると考えているから

必要性を感じた時は
話すようにしてるってだけなんだ



傷物って何なんだろう
傷がついたら物扱いされるのか?

物扱いしてるのは
まさに傷つける側の視点なんだ



自分自身を
物扱いしている人間が

他者のことを
物扱いして踏みにじっていく


だからこそ
自分だけは

自分のことを
物扱いなどしてはいけない



そもそも
傷物なんて人

ホントは
この世に存在しないんだから


傷がついたって
人は物になんかならない

傷がついたって
自分は自分なんだ

傷がついたからって
自分じゃなくなるわけじゃない



どんな傷があっても
どんな傷を持ってても

生きることそのものを
諦めていないのならば


それこそが
生命の尊さなんだから

それこそが
生命の強さなんだから






性犯罪被害者とは
虐待被害者にもなり得るんだ


たとえ
どんな状況であろうとも

汚い
醜い
恥ずかしい

こ〜んな言葉を
子供に平然と投げつける親とは

言葉の暴力を
ふるっているのと同じだからだ



けどね
こんなこと言われたって

恥じる必要も
蔑む必要も

きみには
微塵もないんだよ



こういう言葉を発している人間を
よく見てみればいい


堂々と胸を張って
日々を過ごしているか?

爛々と目を輝かせて
日々を生きているか?


違うだろう

いつもどこか
コソコソしているだろ

いつもどこか
オドオドしているだろ

それが真実だよ



つまりさ
他者の存在に対して

恥とか
醜いとか

そういう言動を
発している人間の心の中に

恥じるべき自分が
包み隠すべき自分が

条件つきで
差別をしている

自分自身が
存在しているからこそなんだよ



そしてそれは
子供が性犯罪被害に遭う前から

その親の
心の中に存在していたものだ


つまりその親の
子供への差別意識というのは

事件遭った
子供が引き起こしたのではなく

事件をキッカケにして
事件を言い訳にして

これまで包み隠していた
その親の持つ闇が表面化したにすぎない



つまりは
事件はキッカケに過ぎないということ

つまりは
事件に遭った自分は何も悪くないということ



自分に嘘をついて生きている
自分を包み隠して生きている

そんな人間の言葉には
真実など微塵も存在しない


だからこそ
そんなヤツの言葉に

耳を貸す必要など
微塵も存在していない



きみは胸を張って生きるんだよ
きみは光を浴びて生きるんだよ


死にたいほど残酷な目に遭っても
消えたいほど哀しい目に遭っても

生き続けてきた
その命の輝きを強く抱きしめながら