図書館へ向かう道に
咲き始めた花


この花の咲く
お家は

多分もう
人は住んでいなくて

いつも
雨戸が閉まっていて


時々
土地の持ち主が

様子でも
見に来ているのか

車が
停まっていることがある



そんな
荒れたお庭でも

こんなに
綺麗な花が咲いて


そして
その彩りに感激して

わたしのように
足を留める人がいる



どんな環境で生まれ
どんな環境で育っても

この花の

美しさの価値も
尊さの価値も変わらない



そして

それは勿論
人も同じこと


どんな環境で生まれ
どんな環境で育っても

あなたの存在は
とても美しいし

あなたの存在は
とても尊いということ




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わたしは
メールを書くとき

妙にタイトルに
拘る癖がある・・・

ということに
最近になって気づいた



メールの本文を書いてから
タイトルを書く

タイトルが書けて
初めてメールを送る


タイトルが書けない日は
そのメールを放置する


なんとなく
そういう日は

タイミングが違う
そんな風にさえ想えてしまう



それは
ブログも同じで

タイトルが浮かばない時は
内容が浮かんでても放置する


それぐらい
「Re」という機能は

使うことなく
メールを書いていることに


最近になって
ひょんなキッカケから

”ありがとうございます”
というタイトルの

メールを受けとって
気づいたのだけれど



ふっと

あ〜〜〜なるほど!!と
想ったのは


わたしにとって
メールタイトルとは

本のタイトルのような
重要な存在だったのだわ



たとえば
タイトルに

”ありがとうございます”と
書いてあるメールなら


「このメールには
 ありがとうが籠ってる」と

内容を読む前から
安心して開きやすかったりする



それが
「Re」だと

そのメールに
どんな気持ちが籠められてるか


内容を読むまで
分かりづらかったりするので

開くまでに
妙にドギマギしてしまう



自分が
そんな感じだから

きっと自分以外の人が
メールを開くときに

ドギマギしないように
妙にタイトルに拘るのだわね〜



結構面倒で
繊細なヤツだな〜と想うけど

きっと
こういうわたしであることは


”心を配る”という
大切さを知るために

そう
生まれたのではないかな


そんなことを
最近になって想う



そして
メールというのは

わたしにとっては
きっと文学でもあるのだわ





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1月30日


3月3日


ほうれん草を
ゆがこうとして洗っていたら

根元にくっついてた
この雑草ちゃん


小さな器の中で
どれだけ育つのだろう?と

水を張って
育てていたら

今朝
花が咲いたわ



雛祭りの日にって
なんか粋なタイミングやぁ〜



小さいけれど
力強い命


ここまで育った
このお花も凄いし

ここまで育てた
私もなかなか凄い



そして
その生命を見て

「凄〜い!!」って
想っているあなたが

この世界に
生きてることも凄いのだ



雑草も
私たちも

命の尊さは
何ひとつ変わらないものね




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干し柿のヘタって
可愛いお花形なのね〜



硝子の器で
食してみて気づいたわ



わたしの
こういう視点は


小さいお子さんの
いらっしゃる方からは

子供の頃の視点が
今でもあるんですね〜と褒められ


スピリチュアルなことに
携わっている方からは

スピな視点ですね〜と褒められる



ということに
気づけるまでは


スピという言葉に
過剰反応していた時期もあって

(カテゴライズされるのが
 死ぬほど苦手なのです)

褒められても
褒められると想えなかったわ



しかし
最近

改めて
脳の本とか読んでいると


ものを
じっと観察するとか

小さなことに
気づくこととか


子供の頃に
無駄と言われていたことは

全部
脳に良かったんじゃ〜ん!!と


自分の子供心を
褒められるようになってきた



子供心って
自分を笑わせる能力よね〜



そして
それって

誰もが
持っているものだと想うのだわ



たとえば
普段とても真面目な人が

お笑い番組や
お笑い芸人を見て

「凄いわぁ〜」
「面白いわぁ〜」って

賞賛してることって
無きにしもあらずと想うけど


その人だって
子供の頃には

他愛のないことで
自分を笑わせていたはず



ただ
やっぱり

その頃周りに
生真面目な大人がいると

「ふざけちゃいけませ〜ん」とか
「真面目にしなさ〜い」とか

そんな言葉で
封じられてしまった”何か”


それが
日常の中にある

自分がふっと
微笑むシーンに隠されている



誰もの心の中に
自分を笑わせる要素がある


その
自分を笑わせる要素こそが

「才能」と
呼ばれるものなのだと想う






【ゆっくり手間をかけると
 お金の価値がわかりやすくなる】


という記事を
書いたあとにね


そう

言葉の遣い方や
そのリズムというのも

個性として
存在するのだけれど


『言霊』
というのも

確かに
存在しているもので



生きる方向や
生きる視点を

ふぅっと
変えていきたいとき


遣う言葉を
意図的に変える


ということも
存在しているわけで


これは

なんと
表現したらいいのかしらん?


首を傾げたときに


---*---*---*---

言葉をデザインする

---*---*---*---


というと

しっくりくるなぁ〜と
想ったのだわ



それは


丈の長すぎるパンツを
切ったり縫ったりして

着心地のいい
丈にするみたいに


自分を
何者かに変えるのではなく

自分の心地よさに添う
言葉にしていくということ






やっぱり

着ることと
生きることに

深い繋がりを
感じたのでありました



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文旦のピール

ちょっと苦いけど
この苦味も美味しい



実はこれ

作ろうと思って
作ったものではないもの


このところ
レモンの砂糖漬けを

皮ごと
モリモリ食べていたら


体も温まって
心地いい感じなので

文旦もほぼ
皮欲しさに買ったのだわ



初めは
砂糖漬けでいいじゃ~んと

一晩寝かせて
やっぱり土鍋で煮てみた


土鍋で煮たものを
別容器に移しておいたら

くっつくから
焼こうかなぁ~となり


結局

文旦ピールに
なったのでありました



こうして

一回一回の作業を
分けてやってみることで


なるほど

これだけの作業と
時間がかかるのだなぁ~と

改めて
実感したときに


お金って
この手間のことよね・・・と

改めて
じんわりしたのでありました



わたしは

ブランド世界の
職人仕事とかは大好きで

実際に
生で見せて貰ったりもして


高価なものって
これだけの作業があって

高いんだなぁ~と
しみじみしたことはある



けれど
こんな風に

どちらかというと
身近に手に入るものに対して

お金の価値って
しみじみしたことなかったかも



父が亡くなった
小学生の頃から

料理をしていて
距離が近すぎたのかもしれない


自分の日常にある
料理という存在から

俯瞰の目で
価値と感じることが


ちょこっと
薄れていたような気がする



個性というものも
これに近いわよね


自分にとっては
当たり前のように表現している

言葉とか
色合いとか

そういう
リズムのようなもの


自分では
奇抜と想ってなくても

自分以外の
誰かにとっては

面白かったり
凄かったりすること



本当は
あなたの当たり前が

きっと
個性そのものということ


(あ、最後ちょっと
 話しがそれたわね)



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昨日の節分に開けた
福茶の中身


狭山煎茶
はと麦茶
黒豆
結び昆布
手焼玄米


表記されていて


わざわざ
飲む前に

どれどれ〜?と
小皿に出して観察しちゃう



こういう習性って
子供が

自分の家に
新しい機械が来たときに


機械の中身を
やたら覗きたがるとか

いちいち
カチャカチャ触るとか

そういう感覚に
とっても近いなぁ〜と


まじまじと
中身を観察する

自分を感じつつ
想ったのでありました



描くとか
書くとか

塗るとか
切るとか

そういうことも
きっと

これと
同じなんじゃないかしら



なんとな〜く
紙の上にくるくると

意味もなく
描いてしまう線でさえ


無意味で
無関係のようで

きっと
そうすることで

自分の中身を
見ているのだわね



意味もなく
すっきりすることって

本当は自分の
とっても深いところに

アクセスしている
瞬間なのだと想う




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お正月に開けようと
年末に買ってきたのに

2週間くらい
眺めてから封を開けたお菓子



こういうのって
見てるだけでも楽しいし

わたしの場合
食べ始めても

毎日
二粒三粒を

ゆっくり
ゆっくりと味わうのが好き



例えば
小豆を煮てみると

1日目と
2日目と

その味わいが
変わっていくように


きっと
自分の無意識の中で

やんわりと変わる
味わい具合というのを

体感したい
わたしがいるような気がする



見た目だけでは
わからない物の歴史を

身体の中に
ゆっくりゆっくり沁みこませる



そうやって
誰かの作ったものから

目に見えない仕事を
感知することを重ねながら


自分自身の
日常に関しても

誰の目にも留まらなくても
できている仕事のようなものを

受け容れることに
役立てているのかもしれない・・・